あの子は、銀河で唯一のあの子

 

 

一ノ瀬ルキナは虐待を受ける幼なじみを助けようと家ごとまとめて火をつけた。漢字で、流希無。流れる希望の子と呼ばれ。

無し子は貧乏神。有難さの対極にいる貧乏神にも手を合わせる人がいる。撫子。

神林永遠子はいつも怒っていた。課せられた半永久に唾を吐いた母親の、なけなしの皮肉と身勝手を知らない。

 

……こう列挙してしまうと苛烈に映る?でも、彼女たちのことを知らない誰かたちが羅列でしかないこれら文字を読み、頭の中に過るだろうものはきっと、作中にはないものです。それぞれのゲームが各ルートのクライマックスで書きたいことに、文字の上の事実は大きな力を持たない。記憶や過去を、彼女たちの名前を通して主人公が知らされる頃には双方どたばた転げ回った後で身も心もすり傷だらけだったりするんだけど、知らなかったことを知ることや、気付くこと、思い出すことそのものが何かを決定付けることはない。

 

それは、繋げる先のない点。

いつの間にかついてた染み、前髪の下のホクロ、ボールペンの液だまり、……それは、数えることができるもの。

 

「らぶおぶ」でも「びんビンっ!」でも「Humanity」でも、彼女や彼は感情の盛り上がりとともに饒舌になる。何かに取り憑かれたようになされるお喋りはやむことなく、取り交わす二人の足場は崩れて断絶する。断絶越しに続けられる投げかけはひとりごとのようで、ひとりごととひとりごとのぶつかり合いは、この瞬間にだけ会話にさえなってみせる。

分からないはずなのに分かって、見えないはずのものが見える。知らないはずのことを知っている。あなたが見るはずのものを見て、あなたが言うはずのことを言う。わたしが見るはずのものを見て、わたしが言うはずのことを言う。見えることが寂しくて理解できることが遠い。『名前』から身をよじり、声を張り上げ、寂しさが加速すれば、ぶつかり合う気持ちは火花を散らす。種明かしというには置き去りなその場所で。

現時点での最新作である「Monkeys!!」でも、枷として、過去として、傷だらけの生い立ちとして、一番短い言葉として、それらすべてでありあなた以上ではないものとして、『名前』が呼ばれる瞬間がある。

この私は、月島カラスの地獄巡りを見送った私である。

 

 

 

「ボクが探したかったのは、あの子がこの銀河で唯一のあの子だからなんだ!」

 

そして、その上で、この贈り物のようなゲームのことを何度でも思う。

ポストカードの宇宙を飾った船の中で、リボンを解いては最初の息継ぎを、寂しい竜のひとりごとを、その側にいた小さな三白眼を思ったけど、最後にはいつもこの言葉に放り出された。

あの子。あの子。あの子……とは、なんて苦い言葉だろう。苦くて、目がちかちかする。君も、こんなふうに呼ばれることを待っていただろう。私は、こんなふうに聞こえる日を待っていた。

 

マルコにとってアルコはただ一人のあの子で、アルコにとってマルコはただ一人のあの子。

アルコとマルコが「あの子」と呼ぶとき、それはお互いだけを指す。

だから名前を忘れたって関係ないのだ。

どれだけ齧られたって大丈夫。

食べ残された思い出がきらめくこの銀河に、あの子は、あの子だけなのだから。