ノイズの向こう、静かの海

 

 

しずかのうみ【静かの海】

月面上の海の名称の一。月面の中央近くにある平地。1969年、アポロ11号の月着陸船イーグルがここに軟着陸し、人類が初めて月面に立った。

 

 

本当はゲームの感想を書いてたのですがボーカル曲についてだけ分けた方がよさそうな感じになってしまったので先にこの記事だけ。

ゲーム「Collar×Malice」にはボーカル曲が三曲あり、その全てをひとつのバンドが手がけています。OP曲のサイレントノイズ、ED曲の静かの海、シンクロ。「静かの海」は最終ルート以外のエンディングで流される曲で、ゲーム中、一番耳にするボーカル曲でもあります。ED曲の流し方には相当こだわって作られたゲームだということもあり、この曲を聴いて誰のことを思い出すかでその人の好きなキャラクターが分かってしまうほど……とか勝手に思ってるのですが「カラマリ 静かの海」で検索し続けてこんなゴミみたいな場所にまでたどり着いてしまった誰かには共感してもらえると思う。

そんなわけで、「静かの海」。そして「サイレントノイズ」。ゲームの舞台である「新宿」という単語が出てくる曲もあるので、配信で曲を買うまでゲーム本編と絡めた歌なのかな?と思ってたけど、歌詞をちゃんと読んでみると同じ新宿が舞台でも歌詞の中にいる視点の人物はゲームのキャラクターの誰でもなかった。恋愛ADVゲームのタイアップ曲らしく視点の人物が誰かを思う歌であることは確かなのに、その誰かの具体的な姿はなく「残像」「記憶」「残響」とだけ表される。そのどれも個人の頭の中だけで完結するものであって、具体的な像を結ぶこともなく、新宿の夜を歩くその人以外にそこにあるものはない。誰かにとっての記憶に触れることは、ノイズの向こうの景色を見ることに似ている。サイレントノイズは、明らかに、ここにいない人のことを思うときの歌でした。そして先に言ってしまうと、静かの海も同じ、ここにいない人を思うときの歌、なんです。ただ、静かの海がサイレントノイズと同じことを歌っているというのは、本編エンディングでゲームサイズverを聞いているだけでは分からないようになっています。サイレントノイズで繰り返し使われた、残像」「記憶」「残響」といった言葉は静かの海では一箇所を除き使われず、その影は、最後のサビの後の……Cメロっていうの?の部分でようやく見えてきます。

 

晴れたら影に 曇りは風に 雨には傘に 君が過れば 探したとして 居ないに飽きて それに気づくたび はなればなれ・・いつか慣れて

 

ここにはいない人を思うというそれ自体は恋愛の歌によくあるテーマだと思うんだけど、二曲とも、どちらかと言うと、ないものを思い出し続けることの難しさとか、諦めとか、ふとした隙間に声や姿を蘇らせてしまうことの終わっていくしかない行き詰まりだとかが描かれています。二つの曲は同じことを歌いながらも状況は少しずつ変化させられていて、サイレントノイズでは「更新」や「バージョンアップ」されていた記憶やそれへ対する思いも、静かの海では「記憶が色をなくす頃」と、停滞のちの後退をしている。サイレントノイズでは記憶そのものを辿るために思い出していたけれど、静かの海では琴線に触れた何かに、ふと過ぎらせることで結果的に思い出している。ここにはいない人……死んだ人とか、もう会いには行けないような別れ方をした人とか、生死不明の人とか、色々なパターンを当てはめることができるけど、でも、私にとってはこれはバンドの新曲でもラジオやテレビで偶然知った音楽でもなくて、おとめげーむをしようと思ってvita起動したら流れてきた主題歌で、エンディング曲なんだ。だからどうしても、架空の人を思う歌として聞いてしまう。この曲が乙女ゲームの主題歌とエンディング曲であることを思ってしまう。そう思って聴くとさ、もう、うわーってなってしまうんだよね。全部分かる。取り出すたびに自動的に上書き保存されて劣化していった名前をつけられなかった瞬間.jpegを本当みたいにして持ってる。劣化させた記憶を繋ぎ合わせた間に合わせの星座をきれいだと思う。繋ぐために取り出してまた劣化する。生活は夏の日に浴びるぬるいシャワーみたいで、持ってることさえ忘れたりする。忘れさせられたりするまでもなく、勝手に忘れていく。全部が分かる。でも本当は分かりたくない。フルver聴いた感想は、なんて曲を書いてくれたんだ、です。19歳の私だったらマジギレしてたと思う。無駄に生き長らえた気力ゼロの疲れた私でよかったな、ってどこに向けたいのか分かんない人差し指がふらふらしてる、俯いてるみたいに。もう星座も繋げない。webで拾えるインタビューも多分全部読んだけど「シンクロ」だけ作詞作曲が違うんだね。それも含めて凶器みたいな誠実さだと思います。ほんとうに。検索するまで"静かの海"が月面の一部に付けられた名称のことだなんて知らなかった。届かない・叶わないものの象徴として月は使われがちだけどそれを静かの海と遠回しに表現するのって、月がきれいですねっぽい。とか適当な横道にそれながらじゃないと正面から受け止めるのはちょっと無理、みたいなそんな楽曲です。見えてるのに届かないどこか非現実的な月に、凸凹に名付けられた海じゃない海。「静かの海にある砂の城」を崩れないと言えるのは置き去りにしたから。夜になったら会えるからもう思い出そうとしなくていい。それでも忘れていく。ときどき、多分まだある、と、思い出して、思い込んで、また忘れて、許しながら生活していく。通常盤のジャケットも歌われている世界に忠実でしんどさに拍車がかかりますね。

 

f:id:mimiura:20170726210718j:image

 

「シンクロ」に触れられないのはそもそもカラマリのtrueルート自体にピンと来ないのと、結局私は、伝えないつまらない響かない戻らない……そんな 、"ない" しかない「静かの海」の方へ立ち止まってしまうからなんだろう。

「静かの海」を聴くたびに白石景之のことを思い出しては胸の中が夕立前の低い曇り空みたいな色になります。今も。